ムラサキサンセット

非常時にその人の真価が問われる

 

・・・とはよく言われることだ

 

真価を問う、などとはたいそう(オーバー)にしても

何を言うか何をするかは“見る”価値はある

 

しばらく動きのなかったひとつのグループライン

当たり障りのない時候の言葉を入れて動かしてみた

 

きっかけを待っていたように

だだーっと流れ出たメンバーのコメントを眺め

先の言葉はあながち外れてはいないと感じた

 

今年に入ってまだ三月(みつき)もたってはいない

このような年に、春になるとだれが思っただろう

心痛めていないひとなど誰もいない

何かと苦労していないひとなどいない

それでも

それに対する対応や吐き出す言葉(沈黙も含め)は

そのひととなりを表している

 

 

わたしはというと

目の前にあることだけを粛々とこなし

できることだけをし

こうして

周りの人間の観察をしている

 

それがわたし、ということだ