月に願いを

年が明けてから

有線ではやたらと

やさしさに包まれたなら

そして

希望の轍”が流れていた

 

これはすなわちコーハク効果だろうな

 

サザンとユーミン

(ここでわたしの言うサザンとは桑田の曲すべての意)

この二つのわたしにとっての共通点は

聴く曲であり自ら歌う曲ではないということだ

あまりにも大き過ぎ

オリジナルの声以外ではとても無理なのだ

成り立たない、が正しい

 

・・・・・

カラオケでは

リクエストがあればユーミンのほうは歌うことはある

サザンはまずない

リクエストされることもない(過去なかったはず)

桑田本人の声だからいいのである

もっと広義でいえば

あれは女声じゃダメ

 

もちろんどちらの曲も難しい

音を外すとかリズムをとれないの話でない

カラオケ巧者ならばわたしの言わんとすることをわかってくれるだろう

 

 

・・・・・

 

さて

わたしがカラオケを一緒に楽しむ機会がある相手たち(男性)は

サザンを歌うものと歌わないものにくっきりとわかれる

年代としてはわたしをはさんで10歳前後としておこうか

歌うものはいつも必ず歌うし

歌わないものは絶対にサザンの曲は選ぶことはないのだ

 

別に歌うものを否定するとかバカにするのではなく

ああ、ここらへんで差があるな、といつもわたしは感じる

 

そしてわたしが打ち解けるのは

歌わないほうだ

 

 

・・・・・・・・・

 

原点回帰

 

自分の葬式が行われるとしたら

流してほしい音楽をずっと考えてきた

 

先日それが明らかになった

「明らかに」という言い方はおかしいだろう

それでも

いくつかが霧の中で入り組んでいたのだ

そして一曲が前面に出た

 

ユーミンの、だ

曲名はまだ伏せておこう