悲しいほどお天気
現代には波はなく
大小の河が流れている
その水を使いたくないものは
自分で井戸を掘らねばならない
俺も井戸掘りのひとりだ
・・・・・・・
暑い日だった
久しぶりに出かけた美術館の企画展示は
わたしの好みとは違っていたが
それでも
なにかしら得るものはある
上の文章は
展示されていた画家が
姉にあてた書簡の中の一文
印象的だったのでその場で残しておいた
数知れない絵描きのなかで
誰もが知っていたり
一度は作品をみたことはある、というようなのは
ほんの一握り
不遇だったり
存命中にはまったく世に知られず
終わってしまった画家のなんと多いことか
たとえ画家の名前が知られても
ほとんど日の目を見ない作品はもっとあるわけで
実際
今日みてきてわたしが一番すきだなあと思ったものは
検索しても出てこない
前回見たユトリロだって
「ああ、この絵を自分のものにしたい」と感じた作品は
探したってもう見られない
まさに一期一会
それもまた美術館で本物をみるという醍醐味なんだなあと思う
なーつのおーわーりー(裏声)
・・・
には
ただあなたにあいたくなーるぅの
いい歌だよねー
とはいうものの
わたしときたらあいかわらずで
何かをしようと思ってはみても
「やっぱやめた」
みたいな毎日
ここの日記ですらそんな感じ
いつまでこんな状況続くんだろね
今月の初めだったか
同級生数人と食事してその後歌う(歌わせてもらう、のほうが正しいかも)機会があって
酔っぱらったヤツが
「おーし、この曲で95点以上出したらこれをやる」と
選曲・予約し
諭吉様の顔がついた紙幣をカウンターに・・・
で、わたし、いただきました
ありがとうございます
なんの曲だって?
別に課題曲でも何でもないわけですが
みゆき大先生の“化粧”でした
「おまえ~~
どんだけ辛い恋愛してきたんや」
他のお客様「後、歌いにくいですわ・・・」
申し訳ありません(棒読み)
しかし、泣きが入ったように見えたかもしれませんが
歌う本人は決して泣いたりいたしません
人を泣かせても
自分は泣きません
それがプロ根性というものです
パラディソ
愛猫のケガの悪化で
気が気でない7月後半だった
ようやく落ち着く
八月葉月の虫の音は
愛しゅうてならぬと
鳴きまする
“通りゃんせ”というふるーい歌のフレーズを口づさむ・・・
録画するも
ひねくれ者ののわたしにとっては
いわゆる出来過ぎでベタな映画であって
なんとなーく長らく放置
心が落ち着いたところで鑑賞
それでもやっぱりやられてしまった
顔も涙腺もゆるみっぱなし
ということは
こんなシラケっぷりの酷いわたしにも
まだ人間らしい心が残っていたというわけか
ちょっと大げさだが
どこかそういう意味で安心もさせられた
作中の映画館は時代の流れで公営駐車場となる
現代のあちこちの街同様だ
わたしの街の昔からの映画館も
軒並み姿を消した
映画館にはそれぞれ思い出がある
かかっていた映画はもちろん
あのひとと行った
あいつと行った
などなど
中でも思い出多き松竹座はコインパーキングになっている
在りし日の画像は
検索してもいいものが見つからない
あの日は
スティングの二本立てだったかな・・・
一緒に行ったあのひとは
元気で暮らしているだろうか
一句
行き先もない
ツイート盗み見たよなタイミング
疎遠なひとよりLINEきてドキッ