ロングインタビュー その9
——今回は具体的な作品名を挙げて、思いのたけをお話しいただきます!
銀子 一応は「映画と小説」というテーマのもとで、ね。好きな映画の好きなところ、となると際限なくいってしまいそうだし、広がりすぎてまとまりがなくなる恐れもありますから気をつけます~
——あっ、それはインタビュアーの力量によるかも。わたしも努力します笑
ではどうぞ。
銀子 邦画一作洋画一作で。まずは邦画、“たそがれ清兵衛”。
——公開は今から20年ほど前ですよね。これは大ヒットというのか、いろいろと受賞もし、興行的にも大成功でした。
銀子 タイトルになっている原作っていうのはほんっと、短い小説です。
ストーリーも違う。藤沢作品のいくつかを組み合わせたものが映画“たそがれ・・”になった。なので主人公の井口清兵衛っていうのは藤沢作品短編集に登場する下級藩士たちの合体と言えます。
よく、原作と違う、原作に忠実でないからダメとか嫌とかの意見もあるけれど、あれだけ高評価を得たってことは、そこは許されたのですよね。
——アニメでも小説でも実写っていうのは賛否わかれますね。難しい。
銀子 小説、つまり原作にこれまで触れなかったひとが映画をみてどう感じるかももちろん大事でしょうが、愛読者はどうか。「ううん、これは元とは違ってはいるが、たしかに藤沢周平の世界だな、描けているな」と思えたから成功例、ではないでしょうか。
——演じた俳優についてはいかがですか?
銀子 とにかく、もう、清兵衛の二人の子どもがかわいい!
演技力とかそういう子役的な話じゃなく。よくまあこんな子が、って。かぶりを振ったり、うなづいたり、目と目を見かわす、そんな仕草で泣けます。
それと、宮沢りえの美しさ。美貌だけではない、あの時代の、まあ時代劇なわけですが、キンキラキンでなくって、普通の生活の中にある所作の美しさにも。
——所作とは?たとえば?
銀子 あがりかまちで、ささっと足袋を手で払うとか、手早くたすきをかけるとか。子どもたちもそうです、親や祖母を敬い、「いってまいります」と手をつき挨拶。父親が帰宅すれば小さな体で刀を受け取り刀掛けへ運ぶ。
——主演より助演や脇役に目をかけられることの多い銀子さんですが、これではどうでしたか?
銀子 さあ来た笑 そうなんです、この作品だといわば憎まれ役の三人の俳優。
で、もうみんなこの世にはいないという・・・残念。
この三人がポイントを押さえているから、主役の二人が映える。まあ優れた脇役っていうのはそういうもんでしょうが。
——丹波さんは清兵衛の本家の叔父、深浦さんは宮沢りえ演じるともえの義姉ですね。
身内ならではのセリフがありましたねえ・・・そして共通した意識が。
銀子 清兵衛の世間体悪い暮らしを嘆き、のち添えをと縁談を持ってくる叔父です。
「なあ~に、女なんか尻が大きくて子どもをたくさん産めばそれでいい」
そこへ茶を持ってきた幼い娘に「論語を?女は学問なんぞしなくていい。ひらがなさえ読めりゃええ」って。
ともえの義姉は
「おなごはお侍と立ち話なんかするもんでねえ、みっともねえ。前からあんたにはそれを言いたかった。ましてやあんたは出戻りの独り身で・・・」
むっとして、
「なんでみっともないんですか?」というともえに
「あんたは姉のわたしに質問するんでがんすか?おなごはそんなことするもんでねえ!」
とまあ・・・
——で、清兵衛とともえはともに秘めたる反抗心のようなものを持っていた、と。清兵衛は職場(城内)でも変人扱い。ともえは不幸な結婚をした挙句の出戻りですが、聡明な先進派ですね。
銀子 そういう設定だからわたし、惹かれてしまうんでしょうねえ~どちらも実行できるかと言えば難しい。憧れてはいても。
——原作にはない登場人物も多いですが、これらも含め銀子さんの言葉を借りれば「キンキラキン」でない時代劇として、藤沢ワールドを再現できたってことでしょうか。一般的なカッコいい侍ではなく、「侍やめて畑仕事がしたい」と思っている貧しい侍・・・これはのちの“隠し剣・鬼の爪”の主人公もそうですね。
銀子 日々の暮らしに追われ薄汚れ、くすんでいき、生活のため武士の命である刀も売り、それでも人間としての大切なものを守っていきたい。
そういうのが、多くの共感?賛同?を得たんでしょう。わたしがこの作品をみていきたいと思うのも、やはり自分への叱咤であり、励ましの意味だと思うんです。
——もともと、動く映像(映画)の創世記はほぼドキュメンタリーものだったそうですね。そのうち興行としての価値が出来、ストーリーも求められるうち複雑化、字幕、トーキー・・・
銀子 興行ですからねえ。観客にこたえるためには内容も豊富にしなくちゃいけない。そこで戯曲とか小説などが映画化されたってことですね。で、映画作品には原作あり、ってのがどんどん増えていった・・・
——人気作品には当然映画化のオファーが来ますよね。
銀子 ファンとしては、自分の思いをつぎ込んだ小説が映画化によって捻じ曲げられはしないかという不安のほうが大きいと思うんです。なかなか許可が出ないものっていうのは作者としてもそうなんでしょう。そういう点で次にお話しするのはちょっと異例だったという映画です。
それにしても、今は携帯電話(スマホ)なしの現代劇はありえなくなりました。
パソコンまではまだそんなに気にならなかったけれど、どうしようもないですね。
——もはや小道具、ではないですもんね。
銀子 時代劇と言えば、ちょんまげ姿の侍が、というくくりですが、今後はスマホや防犯カメラのない時代が新たに時代劇と呼ばれる日が来るのではと思ったりします・・・
——では次回、洋画で。