美術館にて

『Oguiss』 2002年2月9日




生誕100年記念展が開かれている稲沢市の荻須高徳記念美術館に行った

パリに住みパリを愛した日本人画家としては知っていたが
今日初めて大量の実物に触れて感動なのだった
そうなのだ、感動しちゃったんだもんね(椎名誠風)


実物にはかなわない  
それはなんでもそうなんだ

玄関ホールから展示室の入り口に向かって歩いていくと
まだ乾ききっていないような作品たちが
すでに圧倒的な力で私に向かって来ていた
油彩独特の力
初期の作品は荒く、強い
タッチのひとつひとつに茨がある
(のちにはその‘茨’の部分はなくなってくる)


彼が描いたものはごく日常的な街角の風景がほとんど
広告の張られた壁、新聞屋や靴屋、ガレージ、小さなホテル、小路



だいたいアル中だとか結核だとか
自殺したとか耳を切り取ったとか
華々しい恋愛遍歴があるとかの逸話は芸術家につきものだけれど
荻須画伯はごくノーマルであったようだ
写真で見る限りでは狂気のない岡本太郎といったところ
ユトリロ佐伯祐三、荻須高徳、
彼らの描くパリの空は白っぽい灰色である
私はその空がとても好き


ちなみにサインは「Ogisu」ではなくて「Oguiss」
かっこいいよなぁ






『再会』 日付不明



お目当ての美術展は朝から入場待ちの列が出来ていた
人目を引く大きな看板、派手なポスター
スタッフはおそろいのロゴ入り上着
入り口付近では若い男性が
「恐れ入りますぅ〜 バッグの中を拝見させていただきます〜」と
大きな声を上げている
まるでコンサート会場
来ている作品が作品だから仕方がないか


中に入ると会場警備もなかなか
いつものように品のよい服装をした女性が
各コーナーのいすにひざ掛けをして静かに座っているといった姿はない
男女半々でそしてみな立っている
というより立ちはだかっているといった風情



ぴりぴりだ
そしてそれは見ている私に伝染して辛い
落ち着かない
あっという間に回り終えてしまい
(多分)アルバイトスタッフの威勢のよい声に送られ外に出てしまった

思うことはいろいろあるが
はるばるNYから来てくれたことだし
看板作品でもある「ダンス」に再会できたことだし
まあ よしとしよう






七つの大罪』2002年7月15日


シャガール展に行った


会期も短く終わり近いからか
なかなかに混み合っていた

「いかにもシャガール」な絵を見たくて多くの人はやってくる
会場に掲げられた
『私の絵を幻想的と言わないで欲しい』
とのシャガールの言葉を、
会場へやってきた人はどう思って読んだのだろう



「夢の中のようだねえ」とか言い合いながら
作品のまえで人びとは佇む
好きなもののまえでは理屈なしだ
いつもそう思う。
美術館で心打たれる時私は心の中でいつも叫ぶ

「あぁ!」

本当にそれだけ  言葉などないその瞬間
だから一人に行くに限る

美術系の学生がノートを片手に感想を書いていたりするのを
横からちらちら窺い見たり
彼らのファッションを観察できるのも
このような会場に行く楽しみの一つである



今回私がもっとも心惹かれたのは
彼がふるさと白ロシアベラルーシで描いたという
何枚かの油彩
黄土色中心に建物や村を描いたその絵はとてもシックで
思いがけなく良かった
そして「七つの大罪」のエッチング
宗教的な詳しい意味はもちろんわからない
ただ映画「セブン」でそういう言葉があることだけは知った

    Pride(傲慢)
    Envy(嫉妬)
    Gluttony(暴食)
    Lust(色欲)
    Sloth(怠惰)
    Greed(貪欲)
    Wrath(憤怒)

この言葉たちの重み、というか字面からくる迫力
こういうタイトルのついた小さな絵が
薄暗い美術館の壁に並んでいる
それだけで私はずきんと堪えてしまって
頭がくらくらした
(そういえばあの映画のストーリーも救われなかったなあ・・・)