ムラサキサンセット

非常時にその人の真価が問われる

 

・・・とはよく言われることだ

 

真価を問う、などとはたいそう(オーバー)にしても

何を言うか何をするかは“見る”価値はある

 

しばらく動きのなかったひとつのグループライン

当たり障りのない時候の言葉を入れて動かしてみた

 

きっかけを待っていたように

だだーっと流れ出たメンバーのコメントを眺め

先の言葉はあながち外れてはいないと感じた

 

今年に入ってまだ三月(みつき)もたってはいない

このような年に、春になるとだれが思っただろう

心痛めていないひとなど誰もいない

何かと苦労していないひとなどいない

それでも

それに対する対応や吐き出す言葉(沈黙も含め)は

そのひととなりを表している

 

 

わたしはというと

目の前にあることだけを粛々とこなし

できることだけをし

こうして

周りの人間の観察をしている

 

それがわたし、ということだ

ゲンジョウ

刑事ものをさんざん読んだりみたりすると

その仕事の様子が面白くなってきて

安易な刑事ドラマだと

「こらこら、手袋はどうした」とか

「ひとりで聞き込みしちゃだめだろ!」とか

「・・そんなひとに捜査情報言っちゃっていいのか?」

と言いたくなることもある

いや、よくひとりごとを言っているかも

 

 

古いサスペンスドラマ

「警視庁鑑識班」

 

番組表で主演俳優の名を見て、面白いかもと録画したのがきっかけで

続きをみている

 

そもそも

その主演が「西村和彦」であったから録画したのに

みはじめると思っていた俳優ではなかったという・・・

あれ?

わたしが思っていたのは「西村雅彦」であった

 

 

 

このドラマの主役は警察でも鑑識だ

こっちに主流をおいたものはあまりみたことがなかったので楽しい

指紋、毛髪、足跡、薬物、ストーリーの流れの中でこういった鑑識作業が

毎度登場し、専門的な作業の説明が文字で出るのもとてもうれしい

 

鑑識班の面々はそういう時ほとんど無言で証拠品と向き合っている

「むむー」だったり「ふう」のようなため息をもらしながら

逃走する犯人を「待てーーーー!」と追いかけ、ある時は銃を構え

手錠をかけるような華々しい(?)行動じゃなくてね

 

主役の西村和彦は実は「デカ志望」らしく

そこらへんの煩悶もうかがえ

上司から「ま、そこからはデカさんに任せよう」などと言われたりするのだ

 

よく登場する場面として

被害者や容疑者の靴を押収というのがある

玄関先で一足(ワンペア)づつ表と裏の写真を撮り

ビニール袋に入れている

靴裏の土などを採取し、行動先を分析するためだ

これ・・もし自分がされたらと毎回考える

事件当日はいた靴だけでなく、全部鑑識が持ち帰るとしたら

これはなかなか申し訳ない(?)気がして

 

靴が多いのだ

 

それに

事件が起きて警察御一行様が家に来るとする

現場保存は第一だ

知っている

しかし

その前にちょっと片付けてしまう・・・だろうな

 

とまあ

そんなアホなことを考えながら

今日は靴の整理をした

いい天気だ

 

傑作だけど

…という但し書き付きで

「二度とみたくない映画」

というツイートがあった

 

膨大なコメントがついていて

最後まで読む元気はとてもなかった

 

二度とみたくない、というよりは

後味悪いという意味合いのものも多く

それならばわたしにだっていくつかあるけれど

 

直後にはそう感じても

結局はまたみて(みなおして)しまったりしている

単純なところでは

ミスト、セブン、バベル、ミリオンダラーベイビー、ミスティックリバーなどもそうだ

ああやだやだ、こんなのと思ったところで

「よくできている」と感じたならばいつかみる

そういうもんじゃないのかなあ映画好きなら

 

もともとのツイートをしたひとは

ダンサーインザダークをあげていた

たしかに

 

しかしわたしはこれも後日みなおしている

自分の中でソシャクしなおしたいのだろうか?

いやいや

傑作だと感じたならばきっといつの日か手を出すにちがいない

出さずにいられない

そうではないだろうか

痛くても辛くても暗くても

 

 

 

もう二度とみるものか!と思い

本当にみていない、たぶん今後もみないと今、言い切れるものは

はて?

新しいところではズバリ(?)万引き家族かな

高評価されたものだから傑作なのだろう

今のところはわたしには合わないというだけだ

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

本題とは別にして

こんな辛いストーリーで報われないと思いつつ

みてしまう映画を挙げておこう

 

あえて時代劇二本

 

・上意討ち拝領妻始末 1967年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%84%8F%E8%A8%8E%E3%81%A1_%E6%8B%9D%E9%A0%98%E5%A6%BB%E5%A7%8B%E6%9C%AB

 

切腹 1962年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

 

 

ビートルズが教えてくれた

髪とひげをのばして

ボロを着ることは簡単だ

うじうじと吹き溜まりのスナックで

腕を組みながら

考え深そうな顔をするのも楽にできる

日陰ばかりを好んでいては

いじけてしまうんだぜ

もっと陽気でもいいんじゃないか

もっと陽気であっていいんじゃないか

(中略)

それも自由だとビートルズは教えてくれた

ビートルズが教えてくれた

ビートルズ

 

     by 岡本おさみ

 

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こんなTシャツ買った

 

 

しかし残念ながら

語れるほどわたしはビートルズの音楽を知らないのだ

 

時代がずれていて

学園紛争・学生運動と同様に

ひとしきり終わったころがわたしたちの時代だった

 

 

閑話休題

 

学生の頃

友だちが通学途中で定期入れを落とした

ほどなく駅から彼女のところに連絡があり

受け取りに行くその時

 

「・・・ずうとるびの新井くんのブロマイドを入れてるんや・・・

見られたんやろなあ・・・」

 

陸上部で、

陽にやけ、とてもきれいな脚をしていた彼女は

わたしにそう恥ずかしそうに言った

 

 

火曜日の女たち

1973年のドラマ

【ガラス細工の家】

主演 岸田今日子

監督 恩地日出夫

脚本 倉本聡

 

まだ三回まで

(リアルタイムの放送時には見ていない)

 

いやあ、岸田今日子っていいね

ムーミンの声とか綾部貴子はちょっと別世界で

こういうリアルな主婦っていうのか奥さんも・・・

 

大昔、高校生の頃ちょっとだけ家庭教師(男)にきてもらったことがあって

その時同級生男子が

「へえ~それってお母さんとナンかなるってやつ?」とぼそりとわたしに言ったことがあり、

アホかいなと思ったけれどこういうドラマの話だったんだなあ

 

昭和の女優って生々しい色気がある

岸田今日子は身体のラインがはっきりわかるセーターやパンツを身に着けており

家庭教師の芹沢の恋人(芸大生という設定)は

ロングヘアにサングラス、デニムのバギーパンツ(と昔は言っていた)

あと、名前は知らないが刑事役の女優もやたら色っぽい

 

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音楽は大野雄二

 

昔のテレビの音楽にしてはかっこいい

不安を煽るような

 

舞台になっている街は東京郊外らしい

生活感あふれる商店街や雑多なものはなく

団地があり、当時にしてはきっとおしゃれで勝ち組の住宅街なんだろう

 

そこに流れる不穏な空気

この先楽しみ

 

 

キレる男

実は

マーク・ウォールバーグがわりと・・・好きだ

 

なんといってもディパーテッドのディグナム役が強烈なのだが

 

うーん

どこかでみたような?

外国人とはいえどこか親しみの持てる顔ではないか?

とずっと思っていた

少し前に古いサスペンスドラマを見ていて

あ!と気がついた

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高岡健二!

これこれ!

 

ああ、すっとしたわ・・・・

 

そのマーク・ウォールバーグ

いくつか主演作をみてきて

あまり模範的な善人役は似合わないなと

 

そのうちキレる

何かを殴ったり壊したりする役がいい

かといって

根っからのワルや悪人ではなくてね

 

落ちついて穏やかな家庭生活を送る夫とかもちょっとやめてほしい

やっぱ

何かにはめられたり

何かに追われ

怪我をして

逃げ惑う男かな

 

・・・またまた勝手な思い込みだよね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖地妄想

・苫小牧発仙台行きフェリーに乗る

 

隠岐の島で海の機嫌をとる

 

襟裳岬で悲しみを暖炉で燃やす

 

・ススキのかんざしをさして「もういっぱいいかが?」という

 

・北鎌倉で降りて歩いてみる

 

・紙ナプキンににじむインクで「忘れないで」と書く

 

・ビール工場と競馬場の見える滑走路のような道路をドライブ

 

・相模線にゆられ茅ケ崎までのあいだあなただけを想う