パラディソ
愛猫のケガの悪化で
気が気でない7月後半だった
ようやく落ち着く
八月葉月の虫の音は
愛しゅうてならぬと
鳴きまする
“通りゃんせ”というふるーい歌のフレーズを口づさむ・・・
録画するも
ひねくれ者ののわたしにとっては
いわゆる出来過ぎでベタな映画であって
なんとなーく長らく放置
心が落ち着いたところで鑑賞
それでもやっぱりやられてしまった
顔も涙腺もゆるみっぱなし
ということは
こんなシラケっぷりの酷いわたしにも
まだ人間らしい心が残っていたというわけか
ちょっと大げさだが
どこかそういう意味で安心もさせられた
作中の映画館は時代の流れで公営駐車場となる
現代のあちこちの街同様だ
わたしの街の昔からの映画館も
軒並み姿を消した
映画館にはそれぞれ思い出がある
かかっていた映画はもちろん
あのひとと行った
あいつと行った
などなど
中でも思い出多き松竹座はコインパーキングになっている
在りし日の画像は
検索してもいいものが見つからない
あの日は
スティングの二本立てだったかな・・・
一緒に行ったあのひとは
元気で暮らしているだろうか