男 その2


『Ebony and Ivory』 2002年8月22日



ピアノを置くためにどうしても一軒屋に住むことになるんだ
アパートではたいてい「床がそれほど強くないので」って
断られるから



でもね、僕のピアノは340キロくらいなんだけど
本をぎっしり詰めた本棚のほうがきっと重いと思うよ

休みの日にはたいていピアノを弾いてるんだ

郊外住まいはいいけれど
楽譜を買うには不便だな
小さい頃から習っていたピアノも結婚してからは弾かなくなった
気が付けば好きだった読書もしなくなってた
それでもかみさんは僕に対して言いたいことを言うきっかけをいつも逃していたし
僕は僕で向こうからのサインを見落としていたんだ

それが一番大きな失敗の理由だな


一時の激情では結婚生活は続けられない  それは身にしみたね
もともと家庭を作ろうなんて心構えがないまま始まったから
お互いにカベを築き始めたら閉じこもる一方さ
踏み込まないし話し合わない
距離がどんどん広がって軌道修正が出来なくなってた
二人とも立て直す気がまったくなくなってたし



理系?そう  そんな顔してる?
理学部物理学科

そんなもの勉強してきても今の仕事にはそうだなあ   
1%くらいしか役に立ってない
プログラマーの寿命は35歳って言われてるんだよ  
ほんとかな
ソフト作る仕事してる友達が結構いるけど 今度聞いてみようかな


僕も今の仕事ははたして先行きが明るいかどうか・・・疑問だね
あと一年
いや一年半くらいで転職したほうが賢明じゃないかなって思ってる




でもね、家庭はやっぱり必要だなって思う
うん安定がね 欲しいのかな
一度こうして失敗してるから
今度結婚したらその経験を生かしていけば
もう少しは長続きできるかもしれない
今度は10年を目標にね


でも不思議だなあ  こんなこと人にしゃべるなんて
誰にも言ったことないんだよ


ピアノのレッスンをまた始めたんだ
本も読み始めた
この一年はとにかく充電だと思ってる




家に来たらピアノ、聞かせてあげられるのに





それはちょっと困ると女は思った
そういう状況下に置かれたときに
冗談で済まなくなる自分をよく知っているからだ
情が移ってはいけない
そのための出会いなのだ
出会いはあくまで出会いまでで留めておくのがお互いのため



自分の胸に置かれた男の手の上に自分の手のひらを乗せ
その指が鍵盤の上に乗るところを想像する

“そんなことしたら再婚話が来なくなるよ”


指を飽かずにながめている女は
話を終わらせようとした