言われた言葉あれこれ

『ためいき』 2002年9月1日


「子どもがためいきなんかつくもんじゃないよ」


私はよく母にそう言われたものです。
そんなにしょっちゅうついていたのでしょうか。
自分ではまったく意識していなかったのに。



子ども時代の私はいったい何に対して
ためいきをつくことがあったのでしょう。
さかあがりが出来ないこと?
遠足のグループ分けが上手くいかないこと?
今思えば小さなことだとしても
その当時の私にはためいきをつかせるに値するものだったのでしょう。


心の中でふつふつと
思いが煮詰まったり醗酵したり
あわぶくたったー煮ィたったー
そういう状態になったとき
たぶん「ためいき」がでるのです。


あなたは自分がためいきをついているのを知っていますか?
どんなときに?
「新着メッセージはありません」という文字が非情なメールボックスに向かって?
沈黙を守りつづけるケータイを握って?
なんだかあわぶくたつこと、多いです。


大人になるとためいきはついてもいいいのでしょうか。
母に訊いてみたいと思います。








『溶けてしまってもいい!パフェなんか!』 2002年8月4日




「たとえば目の前にこうやっておいしそうなパフェがおかれたとするだろ?
そのとき食べておかないと絶対後悔することになるんだから」


あ、このひとは私の言いたいことわかってないな
この一言ではっきりそれを知った。
「よくわかってくれている」そう思い込んでいた自分が恥ずかしい。

じゃあ何で私はこのひとと長い年月かけて
つながっている必要があったのか。
なんだかむなしくなってしまった。
でも
自分のよき理解者をなぜ求めるのだろう。
理解されなくてもべつにいいじゃないか、
自分だって自分のことがわからないんだもの。
人に求めるなんて無理だって。
なのに失望のあまり

「違う、アンタ私のことわかってないよ」

言葉に出した。

勢いで

「私はね、アンタのこと理解できる数少ない人間だとずっと思ってたよ」

そんなことまで告白した。

「おいおい・・・それっておれに恋してるっていうことなんだって」

ちがーう!!ちがうぞ!おおまちがい!
どうしてそんな都合のいい勘違いができるんだよ!


語り合っているときに
お互いの勘違いや勝手な思い込みが露見すると
どうしようもなく疲れて
すべてがどうでもよくなった。



誰の歌だっけ、
「貸した金返せよ」って。
この場に合うなと思った。





『多角形』  2002年10月6日


「バランスがいいね」


そう誉められた。
誉められるとすぐいい気になって
ニヤニヤしている。
しかし
一体私のどこがバランスがいいのか。

「アンバランスだね、それが魅力」

そう言われたなら私も納得したかもしれないのに。


ある部分では確かに長けていて
その反面、能力ゼロという部分も多々ある。
まんべんなくバランスがとれて
限りなく円にちかい多角形を描けたなら
もう少し楽に生きていけたかもなー。

不幸なことに
私の多角形のトンガリは
現実の暮らしには役に立たないことばかり。