女としての自分あれこれ



『大人の女』 2002年1月29日



わけもなく自分のことを
「最近ちょっと大人になれたかもな」なんて思っていた。
どこが?と訊かれれば返事に窮するのだけれども。

そんなある日、友人の日記タイトルに
『大人の女の条件』とあってふむふむと開いてみた。
そこにはさまざまの定義が。

人はそれぞれ自分の頭でモノを考える。
だから面白い、と思った。
だから怖い、とも思う、くすくす。

以下、私の思うこと

大人の女は、メールの返信が遅いくらいで不安そうな顔をしない
大人の女は、パソコンが少々沈黙したくらいで取り乱さない
大人の女は、野良猫の呼び声が聞こえたくらいで慌てて窓を開けたりしない
そして
大人の女は、飾りのない短い愛の言葉でも十分満たされ、日々を穏やかに過ごすことができる






『リップクリーム』2002年9月19日



アドレス帳で自分がわかる、といった人がいた。
自分というか、男性遍歴というか。
連絡先が会社になっているので、その人の異動ぶりまで思い出すことができると。
すごい。

その時々の自分を思いださせるものにはいろいろあって、
音楽などはベタである。
あまりにもわかりやすい。
あの頃、よく聴いていた。
あの時、流れていた。
ほんとうはそれほどでもないのに、
好きだった人と話をあわせるために買った、とかいうのもあったり。
傷がまだ癒えていないうちは、CDラックにそれが見えているだけでも辛かったりする。
有線やラジオからその曲が流れてきたりすると
リクエストした誰かやその日のDJを恨んだりもする。

あと洋服。あの日、これを着て行ったな、とか。
特に季節の変わり目には出し入れしていて、ついそんな思いに手を止められてしまう。
何を着ていこうとあれこれ考えて、
買いに行った日のことなども鮮やかに再生できる。

今日私は化粧をしながら
ある匂いに戸惑った。
しばらく使うことのなかった小さなケースを開いたときに
あふれ出たその匂いは
私をある時のある場所へと一瞬のうちに連れて行ってしまった。

それはリップクリームだった。

意外なものにしてやられたものだ。

自分にとっての記念日になるかも、という日を迎えるにあたって
女(私)は何かひとつでも新しいものを準備する、
そんな気がする。

葡萄色のリップクリームを買ったある日の私。

“unbridled(とめどない、抑制のない) passionberry”

ケースを裏返すとそういう名前がついていて
あまりにも象徴的で思わず苦笑。







『プレザーブ』2002年6月3日


ちょっと色濃くなったところが
あちらこちらに
だってもうわたし
みずみずしいとはお世辞にもいえないもの
スプーンの背で
軽く押さえただけで
器が赤く染まる

半分崩れかけのライン
過剰な甘味
プレザーブ状態の女

そのままよりは
何かに混ぜよか
まっ白なミルクが
一番お似合いで

やきもちやじれったさの
ツブツブが
溶け切れなくて残ったよ


あなたにはわからない
わたしのこころの
わたしのからだの
溶けない部分